前回の続きです。
いい意味で境界線なんてなかったらいいのにと思う。心の境界線というか・・・意識の境界線というのかな・・・
「障害」
「障害」これも私にとって大きなテーマ。小さいころから育った環境の中で、障害のある人もない人も一緒に生活をしていた。小学校でも、学童でも・・・。でも、高校では同じような力(学力も含めて)の人たちが集まる。大学もそう・・・。
ふと気がついた時、自分の周りに障害のある人は少なかった。今、ふり返れば、気づいていなかっただけなのかもしれないと思う。多かれ少なかれ、人それぞれ今の世の中で生きにくさを感じている。それは、障害があるから、ないからということじゃないような気もする。
同じ教室で、同じ年代の人と一緒に学ぶ。これがどこにでもある姿だと思っていたが、そうではない。とある時間、違う教室で学習する。それがなんの疑問もなく行われている。その子にとって必要だから?本当にそうなのか。同じ時期に同世代の人たちと過ごす場を学校という仕組みが奪っている。そう感じることもあった。
今の世の中も同じ。学校は社会の縮図。小学校、中学校、高校、大学、就職という過程の中で、数々の試験の中で振り分けられていく。おとなになって感じる生きにくさ。それは、多数派と少数派の間に境界線があり、それが受け入れられず排除につながる。その境界はどうやったらなくなるのか・・・。
「生まれた場所」
生まれた場所。大きくいうと国。私は日本で生まれた。友だちはベトナムで生まれた。その場所で生まれ、育ち、それぞれに大切な場所があり、大切な人がいる。言語や文化、宗教の違いによって、戸惑うこともある。それも関係性で境界はなくなるのではないだろうか。
日本の中でも生まれた場所による違いがある。文化や宗教だけではなく、生まれた「場所」による違い。どこに生まれても人間。どこに生まれようがその人がその人らしく生きていくためには・・・。
人のため、世の中のためではない。自分のため。自分が生きやすくなるような世の中になるように、このNプロジェクトを通して、いろいろなことを発信し、チャレンジしていきたいと思う。
コメント